2014年10月27日月曜日

カンメイの言葉

今日朝倉かすみさんが
ツイッターを更新していました。
(かすみさんは全然更新しません)

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実名で発言するというのは覚悟がいります。もし、えらい勢いで「それ違う」と言われても「わたくしはこう思う」とじぶんのなかでぶれないなにかがないと、必要以上にへこみますし、意味不明の「名誉挽回」(いいわけ)に走りたくなります

発言の(いわゆる)真意をツイートせねばならなくなり(そのような圧迫感を覚え)、「真意」と「言い訳」のちがいを超考えつつ、「(わたしがほんとうに)考えていること」を140字以内で書くのは、けっこーたいへん。


わたしが「ほんとうに思っていること」とかそういうのは、小説でやります。※ストレートにあらわすとはかぎりませんが。

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ほんとうに考えてることを笑われたら言い訳したくなっちゃうなあ

作家さんは身をさらしながら書かなくっちゃいけないの
大変だなあと思います。
その時で思うことが違うから
なにか思ったらそれを小説で昇華しているのでしょうか。
素敵だー
そんなものをたくさん読んでみたいです。


朝倉かすみさんとの出会いは
高校の時
大分駅のアーケード街のそばの本屋さんで
背表紙が水色で統一されている幻冬舎文庫のらんの
はしのほう

「ほかに誰がいる」

と背表紙に書いていました。
表紙を見ると
なんとなく雪の結晶のおとぎ話のような
雰囲気で
人形を抱いた女の子がいました。
それがとても気に入って
買って車の中で読みました。

読みはじめたら
読み終わってて

興奮しながらこの本を適当に選んで買えた自分が
本当にすごいとお母さんに伝えました。

私のお母さんの本を見つけてくる
センスみたいなものは
本当に尊敬します。
interestingなものを
見つける天才です。

のちにお母さんはこの本を私が紹介したのを
覚えていなかったのに
朝倉かすみさんの
「田村はまだか」
を買ってくるのです。

おもしろそう~と言いながら

お母さんに認められたということで
やっぱり私はあの時すごかったと思いました。

わたしのおかあさんは本当に素敵です。
いつも丁寧に目の前のことを
自分の目で判断して
ふわふわしてそうながらも
「きちんと生きてきた」
という言葉のふさわしい人です。

はやくああゆう人になりたいなと思います。
その血が流れていることを願います
あはは~
ーーーーー
生きてゆく 
返しきれないたくさんの恩を鞄につめて
きちんと

詩と科学

きのうのあさは急に時間ができたので
本屋さんへ行ったらとても面白い本をみつけました。

高野文子さんの「ドミトリーともきんす」という
B5サイズのうすい本で
絵本と漫画の中間のような本でした。

ともきんす というのは
有名な物理学者ジョージガモフさんの書いた
「トムキンスさん」
という物理学の本(ファンタジー仕立てになっています)
から由来していて

本の中では様々な
科学者の本が紹介されています。

専門でない人でも
ぐっとくるような分が紹介されています。

いい文章がありすぎて
書ききれない。

気になって、この本のことを
ネットで検索してみたら
この本について書いているブログを
いくつか見つけました。

やっぱりみんな感動していて
そのブログを購読しようかなと
思って他の記事も見てみたのですが
言いたいだけの批判を
書いている記事があってやめました。

いいものを見ても悪い風にしか
言えないのは
残念だなと思います。


詩と科学

詩と科学は遠いようで近い。
近いようで遠い。

どうして遠いと思うのか。

科学はきびしい先生のようだ。
いいかげんな返事はできない。
こみいった実験をたんねんにやらねばならぬ。
むつかしい数学もしなければならぬ。

詩はやさしいおかあさんだ。
どんなかってなことをいっても、たいていは聞いてくださる。
詩の世界にはどんな美しい花でもある。
どんなにおいしいくだものでもある。

しかしなんだか近いようにも思われる。どうしてだろうか。

出発点が同じだからだ。どちらも自然を見ること聞くことからはじまる。

バラの花の香をかぎ、その美しさをたたえる気持ちと、
花の形状をしらべようとする気持ちのあいだには、
大きなへだたりはない。

しかしばらの詩をつくるのと
顕微鏡をもちだすのとでは
もう方向がちがっている。

科学はどんどん進歩して、
たくさんの専門にわかれてしまった。

いろんな器械が
ごちゃごちゃにならんでいる実験室、
わけのわからぬ数式が
どこまでもつづく書物。

もうそこには
詩の影も形も見えない。
科学者とはつまり
詩をわすれた人である。
詩を失った人である。


そんなた一度失った詩には
もはや科学の世界には
もどってこないのだろうか。

詩というものは
気まぐれなものである。


ここにあるだろうとと思って
いっしょうけんめいにさがしても
詩が見つかるとは
かぎらないのである。

ごみごみとした実験室の片隅で、
科学者はときどきおもいがけない
詩を発見するのである。

しろうと目にはちっとも
おもしろくない数式の中に、
専門家は目に見える花よりも
すっとすっと美しい自然の姿を
ありありとみとめるのでる。

しかしすべての科学者が、
かくされた自然の詩に気がつくとはかぎらない。

科学の奥底にふたたび自然の美を見いだすことは、

むしろ少数のすぐれた学者にだけゆるされた特権であるかも知れない。

ただしひとりの人によって見つけられた詩は、
いくらでも多くの人にわけることができるのである。

いずれにしても、詩と科学はとは同じ場所から出発したばかりではなく、
行きつく先も同じなのではなかろうか。

そしてそれが遠くはなれているように思われるのは、
とちゅうの道筋だけに目をつけるからではなかろうか。

どちらの道でもずっと先の方までたどって行きさえすれば、
だんだんちかよってくるのではなかろうか。

そればかりではない。
二つの道は思いがけなく交差することさえあるのである。




成績もよくなく
計算力もないわたしが

今大学で
学びたいなと思うのは

これのせいなのでしょうか

だれかが見つけてくれた詩を
見ていけたらなと思いました。



2014年10月25日土曜日

なにかにみとれて



わたしはいつも何かに見とれていたいです

山田詠美さんの4Unique girls
というエッセイで
山田さんあてにきたファンレターに
書かれていた言葉だそうです。

思わず いい言葉だなってにやけて、
でも、肝に銘じておこうと思いました。

ずっといろんなものに見とれてきたのですが
時々怖くなるのです。

いろんなことをやり過ごしていくうちに
わからないけれど感受性みたいなものがなくなってしまうんじゃないかって

疲れた様子でせかせかとスクランブル交差点を
ひとに堂々とぶつかりながら歩いていく人をみるたびに
思います。


「自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ」


とうたったのは茨木のり子さんです。

わたしは
いいものを死ぬまでいっぱい見て、聞いて読んで食べて触って
いろんなことを考えたい。



「なみだは人間のつくるいちばんちいさな海です」
(寺山修二)
   


「泣いてゐるものは青かり この星もきっと
おほきな涙であろう」

(笹井宏之)


しずかな涙が出てくるとうかんでくる歌です。


泣いていて、この歌が浮かぶと
少し元気になります。

今自分がきれいなものを生んでいると
少し思えて
とても特別な気分になります。


このうたわれるような涙は
海とか地球とか作る涙なので
ひとに見せてはいけません。
でも絶対に何かを生んでくれる涙です。

と、想像ふくらませると
少しだけ元気になれます。

友達に、夢に向かってとても頑張っている人がいます。

ときには
怒られてしまうこともあったりして
泣くのだ という話を聞きました。

だからこの歌を書いたカードをあげました。

うまく言えないけれど
伝わるといいなと思います。



雨の日が、嫌いな人には
「言の葉の庭」
という新海誠さんの
アニメーション映画を見てほしいです。

この映画はほとんどの場面で
雨がふっています。
絵が、とても、きれい
ずっとながれる雨の音は
とても安心します。


雨が降るたびに
この映画を思い出します。

あんな出会いがないかなとも思います。


主人公の男の子は
靴職人をめざしているのですが、
その、靴を作るシーンが
ものすごく恰好いいです。
うっとりとします。

ひとが何かに集中しているときが
ものすごく好きです。


こっそりとみていたい


おやすみなさい
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

2014年10月22日水曜日

うれしいこと

喫茶店で四角いリュックと向き合いながら
サンドイッチを食べている男の人がいました。
セットドリンクはオレンジジュースで

座高が高くて
背筋が自然にのびていて

健康風でとてもいい筋肉をしていそうなひとでした。

あんな人がそばにいてくれたら安心するなぁ

とても仲のいいともだちに
とても嬉しいことがありました。

毎日何時間あるんだろうくらいに
たくさんのことを頑張っているこです

のんびりする時間も少ないのに
イライラする様子もなくて

ほんとうにすごいなぁとおもいます。

その子を見ていると正しく頑張れば
報われるんだなぁと思えます。

個人的なはなしなので
すごくぼやかしてしか
書けないけど
許可をとっていないので

SNSは気を付けようと思いました。

Facebookに高校の友達の顔に
胸毛の生えたおじさんの体をくっつけた
画像をあげてしまったことがあります。

おかあさんに大変おこられました。


携帯から書いています。

ほんとうにおめでとう



おんなのうた

浪人時代、私の地元には
大きな予備校がなかったので
福岡まででて、専用の寮に入りながら
予備校に通いました。

一年間一度も
家に帰ることなく
本当に小さい世界でもくもくと
勉強をしました。


癒しは仲良しの友達と
近所のとっても新鮮な野菜と魚を
つかった料理をだしてくれる定食屋さんに
寮のごはんをすっぽかして
ご飯をたべにいくこと
早朝に
寮の玄関が開くとともに
二人で
朝マックに行ったこともありました。

何の話を
していたのでしょう
あまりよく思い出せないけれど
いつも笑っていたような気がします。


たった一年間に
驚くくらいの思い出があります。

りっちゃんといった、愛人募集しているおじさんのオムライス屋さんのはなしなんて
とてもお気に入りです。


そう、もう一つの大きな癒しは
歩いて30分くらいのところにあった
大きな本屋さん。
浪人すると決めて
実家から
三冊しか本を持ってきていなかったのですが
どれも20回ずつほどよんだところで
限界がきてしまいました。

本屋さんには幸運なことに
窓際にすこしだけ
座れる場所があったので
授業の休み時間を見つけては
通って本を読みました。

もちろん浪人生なので
今よりペースはぐんと
低いし
倫理政経を選択していたので
哲学者の本や
受験科目にもある
物理の本、ないけど生物の本
数学の本

でも一番のブームは
短歌でした。

短い文にそのぶん
詰められた一瞬の心の動きや
ハッとする風景に
うっとりしてしまいました。



たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

河野裕子さんという方の歌です
夫である永田和宏さんが、
二人の出会いから、裕子さんが乳がんで亡くなるまで
作り続けた歌を
エッセイとともに紹介しています。



何年もかかりて死ぬのがきつといいあなたのご飯と歌だけ作つて

これは病床での歌。




手をのべてあなたとあなたに触れたときに息が足りないこの世の息が



これは亡くなる前日の歌。



是非読んでほしいです。
短歌もエッセイも
とても小気味よい。


河野さんの情熱的な歌は
与謝野晶子を思い出します。

女の人が誰かを愛しているときの歌って
荒々しいくらいに強く求めていて
でもとても壊れてしまいそうだなと
思います。
つま先で立っているよう



とてもドキドキします


おやすみなさい

2014年10月21日火曜日

安全地帯

言葉がうまくするすると
出てくる人だったらよかったのにと
よく思います
私が饒舌になれるのは
何をいっても受け入れてくれる友達の前で
安心しきっているときか
沈黙が怖くて
必要以上にはなすときです

高校では
沈黙が怖いなんてことが
あんまりなかったけれど

大学生になるとうんと
空っぽの言葉でごまかしてしまうことがあるようになりました

そのぶん
日記帳はとってもやさしいくて
考えがまとまるまで待ってくれて
なにも言わないから思ったことを
どんどんつづってきました

だからわたしは
私のそばで楽しそうにしてくれる人が大好きです

とても大切にしたいとおもいます

そうゆうひとがふえて
最近とても楽になりました

そばにいるとおもしろくて
とても笑ってしまいます

そのうちの一人に
きんたは面白くなくていいよって
言ってもらえたのが
とてもとても嬉しかったです
(笑)

最近は
川上未央子さんの
「すべて真夜中の恋人たち」

山田詠美さんの「4unique girls」

金子みすずさんの詩集

斎藤孝さんのほん2冊

野中柊さんの「プリズム」と「このベッドの上」


金子みすずさんは、
わたしと、小鳥と、すずと
でとても有名ですね。
いまから50年以上前に
西條八十 の監修する
童話 という雑誌で
金子みすずさんは
そのやさしい詩で
世の中をとりこにしました。

にもかかわらず
その後、
伝えられることがなくなってしまったのです。
矢崎節夫さんというかたが、
金子みすずさんの
大漁
という詩にこころうたれ
彼女の詩を探し、
集め、出版するまで
静かに眠っていました。
矢崎さんがいるから
わたしもこの詩がよめるかとおもうと
とても幸福な気持ちになります。

▼▼▼▼
こころ
おかあさまは
おとなで大きいけれど、
おかあさまの
おこころはちいさい。
だって、おかあさまはいいました、
ちいさいわたしでいっぱいだって。
わたしは子どもで
ちいさいけれど、
ちいさいわたしの
こころは大きい。
だって、大きいおかあさまで、
まだいっぱいにならないで、
いろんなことをおもうから。

▲▲▲▲

読んでいるとあんしんするような
詩です。

例えるなら
コインランドリーでかわきたてのバスタオル
丁寧にいれられた暖かいミルクの入った飲み物
部屋のぬいぐるみの首の部分にてを回すこと
からだが埋まるような椅子の席の映画館
おいしいカフェで読む買いたての本
西川の毛布に宿題を終わらせてくるまること
大好きなともだちとあうこと
おかあさんのご飯

冬はやさしい気持ちを感じやすい気がします
寒くて、さみしいぶん
おやすみなさい

2014年10月16日木曜日

りそうのひと

もうすっかり寒くなってきて
冷え性なのでしっかり湯船につかります。

お湯の中であたたまるまで
今日は音読をしました。


▼▼▼
 
三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで

はじめはきみの顔を隈なく見るため

つぎのはきみの目をみるため

最後のはきみのくちびるを見るため

残りのくらやみは今のすべてを想い出すため

きみを抱きしめながら。

ジャック・プレヴェール


▲▲▲

とてもロマンチックな詩です。



情熱的な男の人ですね

なんとなくプラダを着た悪魔で
アンディとクリスチャンが
パリの静かなイルミネーションのしたで
キスするシーンを
想い出しました。


わたしはこのシーンの

「I am out of excuses」

っていうセリフが大好きです


--言い訳が品切れよ---


という字幕もすてきだなとおもいます。



こんなロマンチックな話が好きだけど
私の理想の人は

背が高くってがたいのよくて
強い人!


むかしからスパイや名探偵や
怪盗が大好きなのです。


世間的には悪いことしているけれど
世の中の悪をこらしめるため
みたいなものが
大好き
あとは頭のきれる
悪の組織をつかまえるひと


ゾロが一番好きかなあ

怪人20面相とか
レバリッジのエリオットとか
パーソンオブインタレストのリース君とか
クリミナルマインドのスペンサー博士とか


憧れます
好きな人の図鑑作ろうかな



最近は体操選手がはやっているようで
ああゆう体の人大好きなので
とてもうれしいです


うでにぶら下がって
背中にのぼりたい



好きな人と付き合えたら
はやくそんなふうにしたいです。




2014年10月14日火曜日

白い金平糖の島

金平糖 が
コンフエイト っていうのを
知って ドキドキしました




日曜にたまたま見つけたブックカフェで出会った本

鳩山郁子 さんの ゆきしろ べにばら ていう
画集みたいな 詩みたいな 漫画でした。


どこか外国のお伽話を思わせるような
少し 秘密を抱えたような物語の短篇集でした。


絵は昔の外国のポストカードを思わせる
少し暗くて濃ゆい きれいな感じ


白い金平糖の島 という話が
とても良かったです

金平糖をつくる島の話
その島に入る時は必ず
金平糖をかじらなければいけません

金平糖がとても神聖で繊細なものとして
書かれていて
この作品みたいだなと思いました。


調べてみると金平糖は
雪の結晶が出来るのとおんなじメカニズムで
できているようです。

金平糖は人間の作るあまいゆきですね。


金平糖は
金木犀に少しにています。


口に出した音も
漢字も
小さい花がしっかりしているところも
瓶の中に詰めるときれいなところも



もう一冊
詩人の茨木のり子さんの
「うたの心に生きた人々」

茨木のり子さんは
お母さんから

倚りかからず

という詩を教えてもらったのがきっかけで
知りました。



誠実に自分にとてもまっすぐに生きた女性詩人の方です。
言葉にとても芯があって
いつも読むと背がしゃんと
伸びる気持ちになります。


この本では、茨木さんが
詩人の方の生き方について作品を交えながら
丁寧に語ってくれています。


大好きな与謝野晶子さんについての項があり
あらためて茨木さんを通して見る与謝野晶子さんを
もっともっと好きになりました。


君死にたもうことなかれ 

をひさしぶりに目にして
改めてちいさく声に出して読むと
晶子さんの弟を思う気持ちに胸が潰れそうな気持ちになりました。


この本で茨木さんは

むかしのひとは解説書や「虎の巻」なんかにたよらず
原文にむしゃぶりついてゆく読み方をしていたのです。

と書いていました。


更級日記も伊勢物語も好きですが
原文でよむのはまだ難しいなあ


ただ、君死にたまふこと勿れ の原文だけ 
少し読んでみようと思いました。










2014年10月13日月曜日

あなたのことが大すき



So I just sit in myroom after
hours with the moon and
think of who knows my name


夜、何時間も
わたしの部屋のなか
すわって月を見上げて
だれが私の名前をしっているかについて
思いめぐらすの




思い出のマーニーの主題歌の
プリシラアーンさんのFine On the Outside
の歌詞です。


アニメのために作られた歌では
ないみたいなんだけど
驚くくらいピッタリな歌詞と
メロディと 声

映画館で最後ながれてきたときは
ぞわぞわと鳥肌がたちました。


思春期 ていう言葉で片付けられてしまうときに
とても恥ずかしいくらい悲観的になったり
してしまうのはきっと
だれにでもあるんですね。

大人になるときっと
忘れてしまって
やり過ごせることも
知ってるから
見ていてイライラしてしまう人も
誠実に生きてきたひとほど
甘く見えることもあるんだろうなと
思います。


マーニーみたいな女の子の親友は
いつまでも憧れです。

アンネの日記では、アンナの親友は
日記帳のキティ
真似して日記帳に名前をつけていたような時も
ありました。
もう名前も覚えていません。

それにしてもこの映画はとっても
よかったと思います。
難しいところもあると
いわれるでしょうが

なによりきっと米林宏昌さんが
素敵な人だろうと思いました。
アリエッティ マーニーと
昔の児童文学をアニメ化してくれて
テレビ番組で見たその姿は
眼鏡をかけたやさしそうなおじさんで
でも意外と話す口調は早かったです。


「生きているということは、泣いたり、怒ったり
笑ったりすること。
ほかの人をいとおしく思ったり、思われたりすること。
風や水の冷たさ、葉のにおいに
誰かの手のぬくもりを感じたりすることだと思います。」

みんなにとって生きていることが
こんなふうであったらいいなと思いました。



2014年10月11日土曜日

やさしい思い出


木曜日に無事にレポートを出し終わって、サークルへ行き
かえってすぐに眠って朝起きると

後ろ頭がガンガン痛みました

あんまりに痛くて驚いて
なんとか薬を探したけど
水がない

絶望した気分で
起きたてのかっこうで水を自販機で買いました

一気にのんでまた眠りました

どうやら熱中症だったようです

もう今年は三回目なので気を付けようと思います。


寝ても痛みが引かないので
眠りながら本を読みました。

むつかしいのは嫌だったので
子供向けの


「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」

にしました。


この本は8人の名だたる識者が勉強の本当の意味を解説してくれる(本の帯より)
というものです

8人のうちに私の尊敬する生物学者の福岡伸一さんがいたので
買いました。

福岡伸一さんは私の勉強とはおはこのちがう
分子生物学専門ですが、
浪人時代に出会った
今でも一番の趣味の理解者である
だいすきなりっちゃんに教えてもらった人です。


もちろんその研究でとても有名な方ですが
その書く文章がとても素敵です。

おそらく人柄なのだろうと思います。

どういうところが好きかといわれると
むつかしいのですが

自分の芯をもちながら
相手の価値観を尊重している
私のあこがれる大人です。

知識というお水のたっぷりはいった
静かな給水タンクという感じです。

福岡先生の

「教養とは知識の時間軸です」


という言葉にほおと思いました。


簡単に言うと

「細胞の中のミトコンドリアは
エネルギーを生産しています」

という一文には
実は100年以上のさまざまな人の
知りたい という願いから生まれた試行錯誤の歴史が
あって

そのことを知ることで
また、新たな 知りたい
を生むきっかけになる

というものでした。



ちょうど量子力学の授業で
前田先生のはなす
量子力学の生まれた歴史を
ノートにとっていたので
読み直すことになりそうです。

この8人のうちに
瀬戸内寂聴さんもいました。

作家としても、古典の素敵な現代訳をしてくださる
お気に入りの人です。

彼女はとても賢かったようで
先生に個人的に特別授業をしてもらえたようですね。

▼▼
島崎藤村や北原白秋の詩を読まされたり、
外国の童話を教材にしたりして個別指導をしてもらいました。
毎日新しい本をいただいて、
「ここを明日までに暗唱できるようにしておきなさい」
というように宿題もでました。
とても楽しかったですね。
▲▲▲


感嘆というのはこのようなものなのでしょうか。
うらやましいなあ
と心から思いました。

まあ怠け者な私がちゃんと宿題をしたかは
わからないですが。


あぁと突然
すごく久しぶりに、小学校の四年生の
担任だった國宗せんせいを
思い出しました。

先生は、いつも笑顔で、
その分おこるとものすごく怒ると怖くて
絵が上手で、お話が上手で

だいだい大好きな先生でした。

今でも先生の書いてた
おやじ
というキャラクターは
書くことができます。

家庭科の時間に、一時間つぶして
ホラー映画の話をしてくれました。
もちろん私たちが喜ぶので
着信アリ 1 2
オーメン
あと家族が呪われるやつ
シザーハンズ
と、どんどん話してくれました。

とても話し方がうまくて
シザーハンズの話を聞いた後は
こっそりと泣いてしまったのを覚えています。


先生にわたしはおませにも
読んだ本の話をしていたようなのです。

先生は私が本を好きだというのを知ると
ある日の放課後
こっそり
段ボールひと箱分の
文庫本をくれました。

あのときの感激は
いまでも忘れられないし
今思い出すと
先生のやさしさにこころが
あったかくなります。

むさぼるように
ぼろぼろな先生のおさがりの赤川次郎を
読みました。

先生に
梨木果歩さんの「りかさん」
という本を貸してあげたこともありました。

いまでも大好きな本なのですが
きっととても感動したから
先生にも読んでほしかったんですね
今から思うと
とても図々しい子供だなと
思います。

なのに先生は嫌な顔をせず、
読んで
しかもそれをクラスのみんなに
紹介してくれたのです!!

本当に先生は
やさしい人でした。

感受性の強すぎる私は
とても先生がよりどころだったと思います。

本について書くと
いつも思い出話になってしまします。

私にとって、本は
日記のようなものなのかもしれません。
たくさん思い出させてくれます。
この思い出はとっておきにやさしいものです。


その後、みんなにまわされて
ぼろぼろになった「りかさん」は
今もそのまま
背表紙をテープで張って
手元にあります。

先生は少し前に結婚されたと
聞きました。
娘さんが生まれたら
いい友達になりたいなと
思います。

2014年10月8日水曜日

 blue jasmin  

 スペルが心配
 
 
とても眠い
レポートを終わらせなければいけなくて
起きている
 
 
この間 早稲田松竹 で久しぶりに映画を見た
 
ウディアレンの ブルージャスミン
 
作品中いたるところで
ジャズの ブルージャスミン がながれてる
 
洋服のセンスが抜群にいい感じだったと思う
 
あと、エンドロールのフォントも好きだった
 
 
 

この壁のかんじ


部屋で真似してみようと思う


早稲田松竹には、売店がない


だから

キャラメルポップコーンのにおいがしない

でも結構上等ないすだと思っている


あついスタバのミルクチックな飲み物を
持ち込むのが好き

この間はお腹がすきすぎて
バナナをむいてたべました



忙しいなか、有意義な90分でした

2014年10月6日月曜日

素直に


普段の行いから、素直になることが
とても難しいことだと、わかっていたけど
文章を書くときに素直に書くことは
そに比でないくらいに、難しいです。

このブログも、覚悟して始めたはずだったのに
好きなものについては人生で一番考えてきたので
それについて素直に書いていくことは
今までこっそり妄想してたり考えてきたりしたことを
まる裸にしてみんなの前に差し出すみたいで
とても恥ずかしい。


書きながらいつも文末全部に(笑)って
つけたくなる。


救いなのは見てくれている人が私をよく知っている人で
いたいところをたくさん知っているということです。


それでもまだ恥ずかしい!


でも、私の憧れの文章を書く人はみんな
とても素直な文章をかくのです。

華絵さんや、段文凝さんや黒川伊保子さん
みたいな文を書いて自分で読んでみたい。
だから頑張って書こうと思います。


▼▽▼

文を飾ったって文は生きないんです。
チェホフが言ったように、文は素直に書くべきなんです。
雨が降ったら雨が降ったとお書きなさい。
それが出来ないんですね。雨が降ったら雨が降ったではすまないんですね。
なんかつけ加えたいんです。
しゃれたことを。


△▲▲

小林秀雄さんの文章より


こころにとめておきたい言葉だ!



読んだ本リスト

たましいの場所           早川義夫
こちらあみ子            今村夏子
はみだす力             スプ二ツ子
‘美しい時間‘を生きる  向田麻衣
直観力                        羽生善治
夜の寝覚め         林真理子
ミルキー           林真理子

エッセイがとても好きになっているなあ
作者さんがとても透明にすけてみえるし
とくに、はみだす力の作者スプ二ツ子さんはパワフルだった



長くなったから次のに書こう

2014年10月3日金曜日

ホンのひととき


中江有里さんの「ホンとひととき」





生きるみたいに本を読んでいる人の本でした。

帯に書かれた ああ、もっと読みたい。 っていう言葉に

うんうんってなって、

このひとと話してみたいなあって思います。




私はいいエッセイを読むとたいていその人のことも

好きになってしまいます。

自己啓発みたいにくくられていても

(私は~せよ。と書いてあるような
自己啓発は高いし表現が少なくてなかなか苦手なのですが)


文章を読んで書いてる人がいいひとそうだったら

ファンになって何度も読みます。



個人的には書いている人がふとっていないというのも

大切なポイントです。

清潔に太っている人は大丈夫です。



最近では、メジャーで活躍中の岩隈久志投手の

「感情をコントロールする技術」 ワニブックス

がとてもよかったです。

主に緊張しないためや、落ち込まないためのヒントが

書いてあるのですが、

ただ方法論ではなくて、岩隈投手が実際に経験したエピソードが

必ずのっていて

読んでいて飽きないし説得力がありました。

素直で読んでいて気もちのいい文章だなあと

岩隈投手のことが大好きになってしまいました。


▼▼▼

結局のところ、どんな背番号だろうと、どんな肩書きだろうと

自分がやるべきことをやらないことは、

そこには価値が生まれないのです。

▲▲▲


ということばには叱られた気がしました。



なにかしたことを 経験 にするか 体験 にするかは

いつも自分で選べるんだなあと思います。


ふわふわしてしまう大学生の時期に出会えていい言葉だと思いました。

岩隈投手におこられたら素直になれる気がします。


一番のお気に入りの部分は

▼▼


野球は‘ミス‘によって成り立っているスポーツです


▲▲

というところです。

いいなって思いました。

野球好きですが、もっと好きになった。




本は好きな人のことも教えてくれて

ホンとうにいいものですね。






最後に

「感情に、特に悲しい感情に

鈍感になってしまえば、

やり過ごせる瞬間はたくさんくると思います。」


最初に紹介した本の一節です。


悲しい気持ちになりました。

もしまわりのみんなが

うまくやり過ごせるようになっていって

そういう気持ちになることがあるって

忘れてしまったら

わたしはとてもさみしいです。


中江さんもそうはなりたくないって言っていたけど

きっと感じないことがおとななんじゃなくて

認めて、大ごとにしないことが

おとななんじゃないかなだと思いました。




今日は実験の発表があったので

真面目モードでした。

おやすみなさい!