2014年11月24日月曜日

きそくせい

土曜日の夜、お父さんが東京にやってきました。

お父さんはいつも、仕事のついでに私や妹とあって
日曜日を私たちの買い物に費やしてくれます。


新宿駅の南口で待ち合わせて
改札を出ると
花屋の前の柱のところで
眼鏡をおでこにあげて真剣に
スマートフォンの画面をみている
父を見つけました。

父の顔は私にそっくりです。
丸顔にまるいめ
やわらかめのくせっけが
私の父です。


夜ご飯にステーキを
予約してくれていました。
そこまでいくのにも
父はスマートフォンの画面に映る地図を
真剣に見ています。
その横顔を見ていました。

私のおとうさんは
かわいい顔をしていると思います。
口は大変に悪いですが、
根っこのやさしい性格がでているのでしょう。

私も男だったらなかなかいい感じだったんじゃないかなと
よく思います。

その日のお父さんは
ワインを三杯に、ビールも飲んで
大変に酔っ払って
よく話しました。

少し声が大きくなるけど、とてもいい声だし
悪口も言うけれど
本当にそこまで誰のことも見放したことのない父です。


酔っぱらったお父さんはとてもかわいいと思いました。

お父さんやお母さんのことを考えると
涙が出てきてしまうのは
いつからなのでしょう

感傷的すぎるのかもしれませんが

あまりにも自分勝手で
無責任な娘を
ここまで育てた父母は
本当にやさしいなと思いました。

少し高田馬場を散歩した後
父はすぐにベッドで眠ってしまいました。

私はそのころ
タクシーのお兄さんを呪っていました。

お父さんはよく人に話しかけます。
その日もタクシーの運転手さんに愛想よく
ここは銀杏がきれいになるんですか?
とたずねていました。

それに対して
はぁ・・・みたいな
気のないような
少し、引いているような
返事しかしてくれませんでした。

お父さんはまったく気にしていないようで、そうか~なんていていました。


たしかにちょっとお父さんがうっとしく感じたのかもしれませんが
それが許されるのは私たち家族やお父さんのことを思っている人だけだと思っています。

大切にしているものを
他人にぞんざいに扱われると
大変に腹が立つものだなあと
しみじみと感じる出来事でした。


お父さんは少し抜けているところがあるので
一緒にいると
事件がたえません。

またいつか書きます。

そうしてお父さんとの買い物で

佐藤雅彦さんの 「考える整頓」



東田直樹さんの 「跳びはねる思考」
を手に入れました。
 
 
 
考えの整頓はピタゴラスイッチの生みの親である佐藤雅彦さんの
エッセイです。
「毎月新聞」
という書籍を読んでからの
ファンなのですが
日常生活のささいな場面への観察眼がとても鋭く
そしてその発見を分析して
 一つの理解へと落とし込んでくれます。

警察官の方が、大きい地図を
できるだけ端をおらないように帽子に入れているという話を読んでから
警察官の方の帽子が気になって仕方ありません。


観察から、疑問を発見して
その理由らしきものを
文章で明らかにしていくことが
とても好きです。

本が好きな理由の一つは
もやもやとつかめなかった感情を
ときどきぴったりとくるような言葉で
あらわしてくれる瞬間が
あるから。

そうやって心の動きの形がつかめていくと
とても安心します。

昔から
数列の規則性をみつけるのが
とても好きでした。

一方で
ただじーっと流れる雲をみているのも
目が慣れてきて星が増えていくのを
見るのも好きです。
ずっとなんでだろうなあと思っていました。

サグラダ・ファミリアで有名なガウディの言葉
「創造するのではない。人間が作り出すものは、すでに自然という偉大な書物に書かれている。人間はそれを読む努力をしなければならない。」

というのを聞いたとき
なんとなく腑に落ちました。

人間が一番好むのはきっと
自然なのだろうなと思います。

自然はシンプルな規則性が複雑にあふれているのだろうと思います。

東田直樹さんは本のなかで
植物は、どのような環境の中にあっても美しく咲こうとし、種を残そうとする。
その姿に深く感動し強く惹かれるのだといっていました。

自然の中でひたむきな命達が
シンプルな規則性を生んでいるのかもしれないと
思いました。

なんだか壮大な妄想の膨らむ
読書でした。

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